ECOPARTY SCHOOL OILFIELD CARAVAN Report 013

2011年2月3日 ネパールの楽園ポカラ

朝のピーンと張り詰めた空気のなかトラックはポカラをめざす。

いくつもの山道をのぼったり下ったりしながら平均時速は25キロ。途中渓谷の橋を渡ると魚料理で有名な食堂で腹ごしらえ。


メニューは橋の下を流れる清流でとれた魚のカレーをはじめ地鶏やポークの干し肉などつぎつぎと出される。一口つまむと美味い!ネパールの地酒ロキシーも注文する。これがまた料理にぴったり、何杯もおかわりをする。


ほろ酔いで出発。(もちろんドライバーは飲酒運転ではありません。)

あと50キロで到着だ。また山道をゆっくり走りつづけると突然、雪のかぶったアンナプルナのヒマラヤがみえる。

我々はヒマラヤを追いかけペースがあがる。途中ポカラで待っているスタッフからなんども連絡がはいる。


山道は見慣れた道にでるとそこはポカラ市にはいる。


ポカラ・ストリート・フェスティバルでお世話になったマウント・カイラス・ホテルに到着。ウエルカム・ポカラの横断幕に出迎えられる。走行距離2003キロ。インド・コルカタからブッダの足跡を巡りながらの旅は終了した。

しかし、これからスクール・オイルフィールド・キャラバンのはじまりだ。約1ヶ月かけて振り出しに戻ってきたようだ。

(ウワイ)


2011年2月3日ポカラ到着

ホテルをチェックアウトし、トラックを走らせる。

山を下り、峠をいくつも越える。

途中でみつけた食堂で昼食をとり、ボスは早くもロキシーをおかわりしている。

ここの食べ物は何でも美味しかった。ありがとうママ!

ポカラでディディと一緒に待っているカンチから何度も電話がくる。

カンチ「ドコニイルノ?!ナンジニツクノ?!ナニシテルノ?!」

カブ 「えぇ~っとご飯食べ終えたんですけど、峠道なので、スピードが出せないんすよ。あと25kmくらいです」

カンチ「ナンデゴハンタベルノ?!」「ミンナマッテルデショ!」

カブ 「・・・とりあえずあと1地時間くらいで着きますから」
カンチのマシンガントークは健在だ。


山を下りていくとだんだん人の数が増え、ヒマラヤが見えた。

おぉ、久しぶりのマチャプチャレ!(アンナプルナの聖なる山)

ポカラ市に入り、フェア湖のダムサイドにあるジャーマンベーカリーによってポカラのレイクサイドを最終目的地のホテルを目指してゆっくり走る。

いやはや、自分がネパールのポカラでトラックを運転するとは・・・。

 

 

ディディを発見!ホテルの手前で手を振っている!

ホテルの入り口に目をやると、「Welcome Pokhara」のバナーが!

おっと思わず涙が出てくるぜ。

カンチやホテルのスタッフが笑顔で迎えてくれた。

ポカラ ストリート フェスティバルのオーガナイザーのゴピさんもお出迎えだ。

無事にブッダロードの旅を終えることができて本当によかった。

走行距離は2003km。

日本を出発して48日。

 

長かった・・・。

(カブ)


 

 


ブッダの足跡をめぐる旅を終えて

休む間もなくネパールの新聞各社とTV局に我々のプロジェクトを記者発表する。

その内容は、家庭のプラスチックごみを学校に集めてくれる学校を募集し、我々キャラバンが応募のあった学校を訪ね、プラスチック油化のデモンストレーションと環境学習をする。そしてスクール油田ボックスを設置します。そのボックスがいっぱいになったら日本から救急箱がプレゼントされることを発表。


インド・コルカタからブッダの足跡をたどり聖地を訪ねた旅はプラスチックごみのロードが続き、ブッダが見たらどうするだろう?この道からすべてのプラスチックごみが資源として石油に生まれ変わることができたら、それはまさに奇跡かもしれない。そしてその奇跡をブッダの生まれたネパールから発信し、ネパールの楽園ポカラから奇跡を起こす。


その内容は、新聞各紙とネパール国営放送TVで約15分間もニュースで放映された。

新聞、TVは残念ながらネパール語で報道されたため我々には理解できないが、多くのネパールの友人から連絡をもらう。


我々は、学校からの応募を待つ間、一時日本に帰国し、3月には応募のあった学校を順次キャラバンする予定である。


現在インド日本人学校(ニューデリー/ムンバイ)に帰国時にキャラバンの打診中である。