2011年1月25日事件は起きた
失踪事件
菩提樹で祈りを捧げ、いざラージギルを目指す2011年1月25日。朝、事件は起きた。
昨夜、近くの寺院を朝見に行こうと言っていた。
起きて、トイレに行っていると部屋をノックする音が聞こえる。
急いでドアを開けるが誰もいない。
でも時間的にも寺院に行く時間だし間違いない。
走って追いかけるが全く見当たらない。
ホテルに戻り、レセプションで聞いても出て行ったという。
まぁ、ロビーで待ってれば帰ってくるだろう。
この時、朝7:45分。
出発予定時間11:00を前にガイドのサフィートが降りてくる。
サフィ「ボスはどこ?」
カブ 「寺院を見に行ったと思うんだけど、帰ってこないんだよ。」
サフィ「ディレップさんに電話してみる。」
サフィ「え??シバを見に行ったっきり帰ってこない??」
カブ 「!?」
サフィ「ちょっと車で町の周りを探してくるよ、カブはディレップさんのところにいて。」
おぉ、いつになくガイドっぽいサフィー。
とりあえずディレップさんとボスが別れた場所に行き、合流した。
ディレップさん曰く、
1:日本語を話すインド人に連れられてシバを見に行った。
2:9時ごろ帰ってくると言っていた。
3:拉致られて薬でも飲まされている可能性がある。
これは事件だ。
消えたのは8:15頃。
現在10:50なので約2時間30分ほど音沙汰なしってことか。
日本ならまだしもここはインドのブッダガヤだ。
インド人でもここは危ないからと注意してくるほどだ。
とりあえず最悪の事態を想定するとインドのポリスか日本大使館へ連絡するのが妥当だろう。
いや待て、まずはネパールのポカラで僕らを待っているディディに意見を仰ごう。
カブ 「ボスが失踪しました」
ディディ「あのチョンマゲダルマ!すぐ帰ってくると思うけどキツク言っておいてね!」
あれ?
想定範囲内かのように、まったく心配していない。。。
国境を越えても予測できるものなのか?(ディディは魔女だから予知だったのか?)
ディレップさんと夕方までに戻らなかったらポリスと大使館に電話だね。
もし帰って来なかったら等の「もしも話」を繰り広げていると、時計は12:30になっていた。
その時、
「いっやーゴメンゴメン!」
帰ってきた。ホントに帰ってきた・・・
チョンマゲヒゲダルマ!
ディディ恐るべし。
失踪中なにをしてたのか聞くと、こちらの心配を全くお構いなしに楽しそうに話すので聞くに堪えない。
どうやらブッダの隠れ聖地で現地人とお酒を交えながらコミュニケションをとっていた模様・・・・なんてお人だ。
各々文句をいい、もう考えたくもないのでとりあえず次の目的地ラージギルへ向かう。
失踪中の真相は本人からの供述を願う。
(カブ)
2011年1月25日 失踪事件
ブッダガヤ2日目の朝。
昨日は早めの就寝で日の出とともに目が覚めた。
今日は、ブッダが修行していた地のラージギリに向かう予定だ。
ブッダガヤから100キロ程度なので初日にくらべれば余裕だ。
まだ朝の静寂な空気の中、ディレップとウワイはチャイを飲みに外に出た。
(別室で一人で寝ているカブの部屋をノックしたが応答ないので、まだ疲れて寝ているのだろう?)
ブッダガヤの聖地の公園前の菩提樹の下でチャイを飲み、いよいよ聖地に向かう。
露天のお土産や花売り、すずめ売り(すずめを買って逃がすらしい)のひしめく参道を抜け入り口にさしかかると、流暢な日本語で話しかけてくるインド人に遭遇。
彼の名はモハン、彼は聖地の横にあるヒンドゥの古くからあるシバテンプルを案内するという。
ディレップさんを残しひとりでついていくと薄暗い小さな4畳半程度のテンプルにはホーリーマンがいてリンガとコブラのオブジェに水をかけお祈りが始まり、額に真っ赤なティカを塗られる。
そしてモハンは流暢な日本語で彼の身の上話をはじめた。彼は、このブッダガヤーで生まれ、最近までみやげ物やレストランなど手広く商いをしていて、この近くの川に観光バスが通れる大きな橋を建設すればみんなのためにいいことだと信じてがんばった。
そしてやっと橋が完成すると川の水がなくなり今では歩いて渡れるようになってしまった。そのうえ周りの井戸の水も枯れてしまい、その橋の建設が原因だといわれ、命を狙われたため、みやげ物屋もレストランも人手に渡したそうだ。
話終えると近くだからその川を見に行こうということになり、テンプルを後にして、彼の後をついていくと、目の前に桟橋と水のない幅200メートルの川と左手に立派な橋がかかりツーリストを乗せた大型観光バスが行き来しているのがみえた。
砂漠のような川を歩いて対岸に渡り、畑の中を通っていくと古井戸がありモハンはここの井戸は水がでるのだと手押しポンプで水を出しうまそうに飲み,
「OZISAN MO NOMU?」おじさん?俺のことか?確かに年齢もボディも立派なおじさんだが、普段おじさんを自覚していないうえ、おじさんのようなモハンに言われるとなんか引っかかる。
第一インドの井戸水を飲むなんて自殺行為だ、外国人に飲めるわけない。
「BUDDHA MO NONDAYO!」ブッダ?なんかブッダにつられて飲んじゃった!甘くて冷たい水を。
(よい子は絶対にまねをしてはいけません!)
でもブッダ!マジックが効いたのか、迷路のような道を歩き、日本語を話してはいけない村(例の橋の建設に日本もかかわっていたらしい)を通って土とワラでできた集落にたどり着くと
「KOKODE MATTEITE!」とモハンはしばらく消えた。
そこは集落の真ん中の広場で、ひとり佇んでいると路地の角から裸足の子どもたちがのぞいている。一人二人三人とその数は増え、大人たちもまざってきた。まるで見世物になった気分だ。
ヒンドゥ語も話せないし英語も通じないし困っていると、モハンがペットボトルをぶらさげてもどってきた。
そしてふたつのコップにその透明な液体をなみなみ注いで、「KANPAI!」といった。
さっきの井戸水を飲んでから30分は経過し、いまだ体調に異変はない。においを嗅ぐとかすかにアルコール臭がした。
やぶれかぶれで一口飲んでみる。それは、ネパールのポカラの地酒ロキシーと同じ味がした。
(ネパールでは粟やヒエからつくった蒸留酒)
先ほどまで遠巻きで見ていた子どもたちや大人があつまってきた。
ピーナツやスナック菓子に乾燥した赤唐辛子を油で揚げて塩とマサラをまぶした、おつまみを皿いっぱい、そのなかのひとりが持ってきてくれた。
赤唐辛子はおつまみに最高で調子に乗ってその液体をぐいぐい飲み二人で2リットルは飲んだだろうか、インドではアルコールはかなり制限されていて密造酒がばれたら大変なことになるから絶対に写真を撮ってはいけないと釘を刺された。
また、ここは、悟りを開いたブッダがはじめて乳粥をたべた村なのだそうだ。でも観光客は誰も訪れずまるで2500年前にタイムスリップしたような聖域であった。
日本時間のままの腕時計をちらっと見ると、ホテルのチェックアウトまであと2時間にせまっていた。ヤバイ!急いでもどらなくては。また日本語をはなしてはならないエリアを抜け渡ってきた川をかなり急ぎ足で歩くが、川砂に足をとられるのか酔っ払っているのか、かなり歩きにくい。
渡りきると砂に埋まりかけた石の仏像が桟橋に彫られている。しかしその顔は壊され一体だけその顔をのぞかせていた。
ホテルまでのショートカットだという彼の後をついていきホテルに着くとカブもインド人スタッフもお前を探しに出かけているといわれ、朝ディレップさんと別れた現場に向かうと、そこにはカブとディレップさんの顔があった。インド人ガイドはクルマで周辺を捜索中であった。この場を借りて改めて謝罪申し上げる。この間の失踪事件についての真相は以上である。
あわててホテルのチェックアウトを済ませ、トラックはモハンの話の立派な橋を渡って、今日の目的地のラージギルを目指す。
(ウワイ)